父子鷹 料理道対談


焼きとり達人 早川鴻之輔(親父)× 和食の新星 早川禎行(息子)

息子
息子

学校を卒業したら、そのまま藤よしへ、なんて気は、さらさらなかった。大阪に出て修行を積みました。関西で料理人として得たものは多い。味というものは、土地柄によって本当に違う。そのことを実感できました。父の要望もあり、いったん福岡に戻ることにしました。だけど、大阪の味や仕事のやり方を福岡に持ち込んでも、絶対受けいれられない。それは見えていました。

親父
親父

学校を出たばかりの禎行を、はじめから藤よしで働かせる気は、私もなかったです。まずは外の世界で厳しさを知ることが大事ですからね。大阪で修業を積んだのは、禎行が料理人を目指すうえで、良かったと思っています。

息子
息子

確かに、大阪で学んだことは多かったですね。和食の奥は深い。その中でも、絶対に大切なことが分かった。それは活魚をさばく技術。特にフグをさばけるかどうか。福岡で和食の料理人を目指すのなら、フグをさばけないと話にならない。そう思いました。だから、いったん藤よしに戻ったころも、ランチタイムの仕事が終わったら、フグを扱う店に行って勉強です。夕方になったら、再び藤よしで仕事。午後11時ごろに店を閉めたら、それから午前5時、6時までフグをさばきましたね。寝る暇なんかなかった。でも、それはたいしたことじゃない。問題は、藤よしに戻ったものの、自分の居場所がないことでした。焼きとりに関しては、もちろん親父がいるし、長年焼き続けている人それぞれ、その腕は確かなのでした。

親父
親父

わが子が可愛くない親はいませんよ。しかし、昔から藤よしの暖簾を支えてくれて来た従業員だって家族同然です。彼らがずっと藤よしの味を守ってきてくれた。息子だからといって、甘やかしてはいかん、厳しくしなきゃいかん。葛藤ですよ。禎行と、昔からの従業員とのかかわり方を見ていて、「このままではいかん。禎行のためにもならん」と思いました。それで、心を鬼にして、外に出したんです。

息子
息子

焼きとりひと筋の親父。和食の魅力に惹かれた私。親父とは料理に対する考え方が違うな、と思いました。どっちが正しいとか、悪いとかじゃない。むしろ、そういうことがあってこそ、料理の質は高まる。ただ自分も若いですから、譲る気持ちはない。自分を磨く。そんな気合いを入れて毎日包丁を握っていましたよ。

親父
親父

ライオンが自分の子供を谷底に突き落とし、這い上がって来るのを期待する、って言いますよね。そんな心境でした。そして、そんな親の期待に応えてくれた。今の禎行は、しっかりした考え方を持っている。あのまま甘やかしいていたら、どうなったか。外でしっかり腕を磨いて、よくぞ戻ってきてくれたと感謝していますよ。今はありがたいことに可愛い孫もできましたし。(笑)

息子
息子

私も料理人としての覚悟ってやつがありますからね。藤よしに戻るにしても、いきなり戻るというのは、違うと思いました。それは甘えがある。自分が磨いた和食の技をどこまで認めてもらえるか。勝負したい。だから、福岡市中央区渡辺通に、和食の店「味魂 さだ之輔」を出しました。自分なりのけじめってやつが、あったからです。私の人生にはプロレスがあります。特にアントニオ猪木さんは一番尊敬しているお方です。そのアントニオ猪木さんに、店の顔である看板に、「味魂 さだ之輔」と揮ごうしていただき、サインもしていただいた。まさに宝物です。「味魂 さだ之輔」で、自分が信じる和食の道を突き進んでいきました。しかし父も年をとったし、2016年9月に思い切って閉店。原点回帰で「藤よし」を継ぐことにしました。藤よしに戻って、あらためて思ったのは、「焼きとりは、強い武器ではある」ということ。焼きとりは、とにかく腹が満たされる。しかも藤よしの焼きとりは、よそ様のより大ぶりです。もちろん私が精魂込めた和食も堪能していただくけれど、料理は、美しさ、美味しさだけじゃなく、最終ゴールは満足度だと思ってます。「ああ、美味しかった。満腹だ。きて良かった」とお客さまに思っていただくこと。それが一番。

親父
親父

禎行も、福岡市に戻って自分の店をやっているわけです。果たして、藤よしに戻ってきてくれるだろうか。そう思ったのですが、よくぞ戻ってきてくれた。本当に良かったと思っています。

息子
息子

本腰入れて、藤よしに戻って、思ったんです。福岡市には美味しいものがたくさんある、美味しい店がたくさんあると言われます。しかしどの店でも美味しいわけじゃない。いっしょくたで考えてはいけないと思うんですよ。高利益を優先するお店は徹底した低コストを考える。たとえば冷凍品をたくさん使うわけです。しかし藤よしのようなオーナーシェフは、料理人の心として、とにかく美味しいものを出したい、客をうならせたい、と思う。でもこだわりすぎるとコスト高になる。 藤よしは焼きとり屋です。しかし、私が戻る以上は、美味しい和食を味わってほしい。だから、生け簀は絶対に必要なんです。生け簀を使って鮮度のよい魚を最高の状態でお出しする。それは絶対にうまい。だけど利益はあまり出ない。それでも私は、自分が目指しているもの、自信を持ってお出しできる和食を出したい。そこは譲れないところですね。

親父
親父

普通の焼きとり屋と思って店に入ると、カウンター近くに生け簀があるわけですよ。普通は焼き場とネタケースでしょう。それが、新鮮な魚が泳いでいる生け簀がまずお客さんの目に入る。これはなかなか珍しいでしょう。だから、禎行が藤よしに戻ってきて「カウンターの中に生け簀を入れたい」と提案した時、私は即座に「全面的にOK」と言いましたよ。焼きとり屋もどんどん変わっていかないとね。

息子
息子

生け簀は和食の世界ではごく自然な形です。しかし焼きとり屋に生け簀があると、「えっ」「焼きとり屋で、和食のお造り?」と思う方もいるかもしれません。だから、焼きとりひと筋人生の親父が、よくOKしたなあと思いましたよ。確かに、藤よしの焼きとりは長年にわたって高い評価をいただいてきた。昔なら、それでよかったでしょうけど、これからの時代は、それだけではだめだとも思うんです。和食と焼きとりを「対抗するもの」として考えるからだめなんです。そうではなく、和食と焼きとりは「きれいに融合するもの」なんだということ。それを作る側も、食べる側も理解する。そうすることで、より一層お客様との輪が生きてくると思っております。

親父
親父

お客さんも、むしろ喜んでくれましてね。私も、生け簀を入れたからって、焼きとり屋らしさがなくなるとは、これっぽっちも考えなかった。むしろ、私が築いた焼きとりを生かしてくれるものは和食だ、と思っていましたからね。私は60年も焼きとりを焼いて来ました。焼きとり屋の主としての自負もあります。一方で和食の良さも素晴らしさもわかっているつもりです。焼きとりに合い、寄り添えるものは何か?同じように、禎行も焼きとりの強みを分かってくれている。それは嬉しいですよ。息子は和食の技を活かしている。焼きとりも独自の技があります。食として考えた場合、和食と焼きとりとの色合い、提供するタイミング、食べた時の触感の変化。こういったものが自然の流れになっていて、食が進む。ハイレベルの和食と、徹底的に極めた焼きとり。見事にマッチしていると思います。しかも、食事の内容と料金のバランスが良い。これがとても大事なことです。

息子
息子

和食と焼きとりは、対抗するものじゃなくて融合するもの、って言いましたよね。私が愛するプロレスで言えば、派手な飛び蹴りと、グランドテクニックのような関係です。飛び蹴りは派手で観衆に受けるが、それだけでは勝負は決まらない。地味な締め技だけが続いても試合は盛り上がらない。どっちも必要なんです。両方あるからこそ、成立する。藤よしは焼きとり屋ですから、前座のお造りから、メーンイベントの焼きとりへ、という流れ。これが自然です。だから「焼きとり屋に生け簀を持ち込んだら、どっちつかずになるんじゃないか」といった不安は、私にもなかったですね。

親父
親父

焼きとりは、なんといっても肉、内臓といった素材が良くないとはじまらない。野菜も同じで、ネギ一本でも、肉との相性がある。禎行とは、そういうところも考え方が同じでね。

息子
息子

和食といえば魚と誰もが思います。もちろん魚は一番大事です。でも実は野菜も重要なんです。魚の最高の味を引き立たせ、しかも、野菜そのものの美味しさも主張する。そういう野菜が絶対にいるんです。私は福岡に戻って、そういう理想の野菜を求めて歩き回りました。あるとき、ふと気づいた。美味しい野菜は、美味しい土によって育てられるってことです。「美味しい土」と言いましたが、文字通り、いい野菜を育ててくれる土は美味しいですよ。土が醸し出す香り。それだけで、薄い塩味を乗っけた時の野菜の味が、明確に想像できる。そういう野菜が和食には欠かせないんです。

親父
親父

親子の考え方の違いっていうのは、あって当然ですよ。そのうえで、それぞれの良さを分かり合うっていうかね。禎行は、藤よしの強みとか、優れているところをしっかり見抜いている。そのうえで、和食の強さをプラスしようというのですから、私としては息子を全面的に信頼していますし、任せています。

息子
息子

藤よしがもっている良さは、料理人の目で見れば、すぐにわかります。例えば焼きとりのネタケース。ネタの並べ方一つ見ても、藤よしは違う。父はもちろん、20年ほどやっている彼が並べたネタは、その時点で美しい。焼く前から美しいものは、焼いたら間違いなくうまい。焼きとり屋は、並べる時から勝負は始まっているわけです。

親父
親父

私も、焼きとりを焼いて60年余り。料理人として、和食の勉強もしてきましたので、和に対する品と格はもっているつもりです。しかし年を取るとだれでも保守的になりがち。それでは料理も店も進化しません。だから、私は、禎行の姿勢を信じて、品位と格式を持つ事。ここに味がある事を意識して、そのまま突き進んでくれたら、私が余計なことをいう必要はありません。

息子
息子

料理人の一人として、ずっと思っていることがあります。福岡市って、これという観光資源があるわけじゃないですよね。福岡にこんなに多くの観光客が来る理由は「食」です。福岡は「食の観光都市」なんです。ならば、すべての観光客をうならせるような、福岡の味の魅力を提供しなきゃいけない。福岡で包丁を握る料理人は「博多の料理を出しているんだ」という自覚が必要だし、その責任があると思います。だって、観光客に「『福岡の食』って自慢する割には、たいしたことなかったな」なんて言われたくないじゃないですか。せっかく期待してきてくれた観光客、もちろん福岡のお客さんも含めてですが、誰一人、がっかりさせちゃいかんのです。

親父
親父

こいつも、譲らないところは決して曲げない博多っ子ですからね。たとえば、消防団員としての責任感です。常連さんから注文受けたお造りをしている最中であっても、火事を知らせるサイレンが鳴ったら、そのままヘルメットかぶって店を飛び出していくんですよ。でも、お客さんも博多っ子です。文句を言う人はだれもいない。料理も大事だが、人の命のほうがもっと大事なのは、当たり前ですからね。

息子
息子

博多っ子ですから。春吉消防団員として地域を守る責任を優先することもあります。カウンターの背後に消防団の白いヘルメットを常に置いているのは、そういう気持ちからです。まあ、山のぼせでもありますけどね。ともかく、今は、自分がやりたいようにやらせてもらっている。そこには本当に感謝しています。

親父
親父

国同士の軋轢とか、そういうものがないころは、韓国、台湾、香港などからのお客もどんどん増えてきたんですがね。ただ、同じアジアでも食文化が違う。その食材が何であるか、が分かるものを好んで注文されますね。外観がはっきりした形のもの、たとえば手羽先、カシワ、タンなどですね。

息子
息子

その通り。確かに、最近は世界中が和食ブームです。しかし、本当に和食が理解されているかと言えば、怪しいところもある。それは、焼きとりも同じ。アジアのある国の客は、牛肉を食べません。だから牛串は注文しない。欧米の客は、肉の価値を量で考えるせいなのか、串に刺した牛肉を見て「たったこれだけ?」という顔をする。量は少ないがおいしい部位。切り方。焼き方。そこを分かってもらうのは簡単ではありません。食文化は難しい。でも、だからこそ、コミュニケーションを深めて、焼きとり、和食の神髄を、少しでも理解してもらう努力が必要でしょうね。

親父
親父

禎行の和食に向き合う姿勢を見ると、私も引き締まります。お客さまが、息子のお造りを見て「綺麗」「美しい」とびっくりしてくださるのを見るのは、親としても、料理人としても嬉しい。見事に成長してくれました。藤よしは、皆さまに喜んでいただける。もう、何もいうことはないです。

息子
息子

食べ物を扱う商売は、食べ物を大切にするべきです。たとえば焼きとりコース。たくさんの種類の焼き鳥のセットなんですが、食べきれずに残してしまうお客さんが結構いたんです。食品ロスはなくしたい。だから、お客さんのニーズに合った内容のコースを作りました。どうせやるなら博多らしいものを提供したい。ですから、ゴマサバや、明太子系といった、博多がイメージできるものを意識して作りました。そうやって、できるだけ多くの人に、できるだけ全部食べていただく。満足してもらえたら、次はもっといろんなものを食べに来てくださる。プロレスに興味ない人であれば、まずは立見席でちょっと見てもらう。それで「プロレス、意外に面白いな」と思ってもらえたら、次はリングサイド席ですよ。いい試合をすれば、ファンになってくれる。料理も同じだと思います。

親父
親父

この商売をやっていて、一番うれしいこと。これはもう、毎日、お客様から「おいしい」と言ってもらえることに尽きます。60年以上やってきましたが、今でも「一本の串の焼き上がり」が自分で納得いくかどうか。毎日毎日、それを心掛けています。だから、お客さまの「おいしいね」という言葉は、自分が進んできた道が間違っていなかったという気持ちにしてくれるんですよ。

息子
息子

それは私も同じですね。やはり、お客さんからいただいた嬉しい言葉は、「おいしかった」ですよ。それも笑顔でね。

親父は焼きとりの技を究極まで磨き上げてきた。息子は自分の信念で和食の道をさらに精進する。料理人として生きる父子鷹が鎬を削る真剣勝負の場。藤よしは、極上の活き造りも、味わい深い焼きとりも堪能できる、客としてはとても有難い稀有な焼きとり老舗店として、さらに進化していく。至高の和食と、極みの焼きとり。この、たぐいまれな食文化の融合を、見て、味わえるのは、博多っ子の特権と言える(K)


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焼きとり × 和食 「藤よし」